


パラオの歴史
パラオは19世紀にスペイン
その後ドイツに植民地化される
第一次世界大戦で日本軍が
ドイツ駐留部隊を降伏させ
パラオを占領した
第一次世界大戦後のパリ講和会議により
日本の委任統治国となる
当時約6500人のパラオ人に対して
約34000人の日本人がいた
30年間の統治時代に
学校、病院、道路などのインフラが進み
差別なくパラオ人にも
学校教育がおこなわれた
この時の日本語教育もあり
今でも年配者は流ちょうな日本語を
話す人がいる
第二次世界大戦の時には
軍属となったパラオ人もいたが
ペリュリュー島での激しい戦いの際には
民間人の犠牲者はゼロだったのは
有名な話である
第二次世界大戦後は
国際連合の委任を受けたアメリカが
パラオを信託統治する
47年間の統治、英語教育であったため
年配者以外は日本語よりも英語が通じる
またこの時にアメリカの
植民地であったフィリピンから
労働者が移住してきている
1990年代の東西冷戦終了により
地理的な戦略価値が下がったこともあり
1994年にパラオは独立する
パラオの環境保護
ミクロネシア地域の島国
大きさは459㎢と小さい
(神奈川県横浜市は437㎢)
人口は2万人弱で
約70%がパラオ人
フィリピン人が30%近くいる
パラオ人の25%は日系人
(ちなみに横浜市の人口は376万人)
29ヵ国と外交関係を結んでるが
台湾と仲が良いため中国とは国交がない
旧統治国である日本、アメリカと
仲が良く、地理的に近いグアムとも
結びつきが強い
2012年にロックアイランドが
世界遺産に指定された
ちょうど中国人の海外旅行人口も
増えていた時だった
2012年にパラオを訪れた
中国人は3700人だったが
2015年には
91000人にまで増えていた
2017年にパラオが台湾との
国交関係を維持してることを
問題視した中国は
旅行会社にパラオへの旅行を
停止する指示を出した
パラオも特定の国の観光客に
依存するのは
良くないとの考えから
中国人観光客を制限しました
日本含め多くの国とは全く逆の対応です
いまだパラオでは
某感染症患者がゼロなのも
2月1日に早々と中国からの
入国禁止を決めたことが
要因だと思われる
パラオは環境保護を
観光よりも優先させ
このマンガに描かれているように
2017年から環境を汚さないと
誓った人しか入国させない
(入国スタンプに署名をする)
対策をとっている
違反者には罰金制度もある
中国人観光客が増えてきた頃から
環境悪化が顕著になり
上記の対策をすることになった
パラオで海に遊びに行くと
いろいろな許可証などが必要だが
その値段の高い各州の観光税や
入域料、環境税なども
環境保護に当てられているとのこと
あとがき
今回の番外編はいつもと違い
マンガのシナリオ・作画共に
モコ作となります
普段は旅行に行くと
美味しい食べ物の事を考えてますが
2020年某感染症が流行る前の
パラオ旅行では
いろいろ考えさせられる事が
多かったです。
漫画にも描きましたパラオの
環境への取り組みや政治政策など
実際に現地に行ってみて
何故だろうと疑問に思うことで
知り得たことです。
また、日本統治時代の名残りとして
日本語を話すパラオ人のご老人
そしてペリュリュー島で出会った
元日本人のご老人
この方は戦前に移民として
パラオに移り住み
敗戦後に日本に引き上げる際
幼かったため
パラオ人のご夫婦に預けられ
その後の人生を
パラオ人として生きてきました。
今回の旅では今までとは違った
刺激を受け、考える事が多く
またその事をマンガ・ブログ記事として
書きたいと思った次第です。
モコ
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